核兵器禁止条約元年、戦後76年の夏に―『北の里から平和の祈り』原画とナガサキ原爆版画展

札幌に被爆の現実を伝える「ノーモア・ヒバクシャ会館」があるのをご存知ですか。  長崎で被爆した7歳のまり子さんが両親を失い祖母と祖母の故郷の札幌に親戚を頼って海を渡ってやまり子さんと同じようにまり子さんと同じように広島や長崎から家族、家を失った多くの被爆者の方々が故郷の北海道に来られました。絵本「北の里から平和の祈り」(文・こやま陽子 絵・藤本史郎)は北海道に渡った被爆者たちが被爆の不安と生活の苦労の中で被爆者の悩みを語り、戦争の悲劇を伝える場所が欲しいと運動が始まり、実現した物語です。その原画を展示し、4歳のとき長崎で被爆した函館の版画家平方亮三さんの作品も展示します。平方亮三さんは、棟方志功らが始めた日本板画院に所属する版画家です。函館に住んで今なお創作活動を続けています。

会期中には下記の関連行事が開かれます。

★7/24「『北の里から平和の祈り』が問いかけるもの-原爆・戦争の絵本に触れて-」     

★7/25「松田ひとえ・平和の祈りコンサート」

下のチラシをご覧ください

26年前の7月17日突然私たちの前から去った奥井理(みがく)が中学の卒業文集に書いた作文です。優しく正義感の強かった彼の思いを彼のギャラリーで実現できてきっと遠くからうれしそうな笑顔で見つめていてくれていることと思います。

僕、今生きています。       奥井 理

今、僕は生きています。だけど生きてる心地というか、生きてる感じというのがあまりわかりません。誰にも未来は、わからない。この世は偶然の世界だと感じています。   何かの拍子に地球ができて、人間が生まれ、そして僕がいる。そして、過去には、決して戻れない。が、その過去も、みんなにでたらめを教えれば、それが真実となり、真実がでたらめになる。人間の世界なんて、そんなもんだ。起きたことも、誰かが、そこで嘘を言えば、それが事実になる。自分たちが不利になるようなことは、言いたがらない。そんなことでいいんだろうか。
去年、NHKでもモザンビークという国の内戦のことを取り上げた番組をやっていた。モザ村の人たちを虐殺し、子供たちを奪いとり、ゲリラの武器にしているのだ。子供たちは、ゲリラに洗脳されて、人間の理性を無くし、武器として戦っている。ゲリラの子供たちは政府で保護されている。専用の施設に入って人間として生きていけるようになったら家庭に戻ったり、家庭の無い子はもらわれていく。だけど子供たちの心の傷は一生残ります。僕はショックでした。僕たちの生きてる地球で、そんな事が起きているとは思いもしなかった。
平和というものが、どれだけ大切かわかったような気がした。
今、本当に平和ということが問われている。湾岸戦争で、日本人が何をするべきか、
唯-の被爆国である日本が先頭に立って、戦争を反対しなければならないのに、アメリカにべコペコして、自衛隊を派遣しようとしたり、たくさんのお金を、戦争のためにつぎ込んだりしている。戦争だからしょうがないんだで済まされるのでしょうか。
罪の無い人が殺しあい、それが許されるのか。
日本は今、憲法を変えてまで戦争をしたがっている。
一度ゆるめれば、もう歯止めははきかなくなる。
みんな平和のために立ち上がれ。
                         1991 理15歳